プログラマーを辞めたかったがじゅ丸さん(25歳・男性・鳥取県)が転職した体験談です。
仕事内容 | 自社システム管理・改修のSE兼プログラマーから青果物卸売業に転職 |
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年収 | 240万円から192万円にダウン |
実家の近辺に勤めたくて転職したけど…
元々、都内のIT企業に勤めていましたが、実家のある鳥取県の近辺で働きたいという思いがありました。
その時、愛知県に本社があるIT企業にて、島根に事業所を設置して自社システムの管理・改修を行うといった旨の求人を見かけ、その従業員第一号として採用されました。
私の他に本社の管理者が1名、同時期に採用されたIT業務未経験者が1名の計3人のプロジェクトチームでした。
当初は島根事業所で業務を行うものと思っていましたが、機材が揃っていない為、本社のある愛知県と、島根事業所を管理している大阪支社への出張となりました。
要件定義等を3ヶ月程で済ませ、島根事業所へ持ち帰られる状態になれば出張が終わる予定でした。
しかし、業務量は想定以上に多く、計画は徐々に遅れ出し、途中で本社の管理者が業務に耐え切れず退職しました。
管理は私が引き継ぎましたが、もう1人は未経験の為戦力にならず、出張は1年間続いた後、プロジェクトは破綻しました。
その後、現システムの開発者も含めた新体制を再編成することとなりましたが、私は当初の目的であった「実家の近辺に勤める」という思いを果たすことはこの会社ではできないと判断し、その時に退職を申し出、鳥取県へ帰りました。
IT企業以外でパソコンに関わる仕事がしたい!
IT企業に勤めたのは2回目であり、他の会社に勤めている人からも話を伺っていましたが、どこも「自分の技術向上の為」「残業をするのは自分の能力が足りないから」と言い、残業を強いてサービス残業せざるを得ない環境ばかりでした。
私も時には会社に泊まり込みで働いていましたが、21時を過ぎても会社に居て、あまつさえ昼休憩のごとく談笑している先輩方の姿を見た時は正気を疑いました。
その時、私は「IT企業」ではなく「IT企業以外でパソコンに関わる仕事」に転職しようと決意し、退職しました。
鳥取県に帰った際、私は精神病院で軽いうつ病と診断されていたので、休息も兼ねて職業訓練校に通いました。
職業訓練校ではもちろん地元の人ばかりなので周りには鳥取弁が飛び交い、私はそういった会話の中で「あぁ、地元に帰ってきたんだな」とふと思い泣きそうになったことを覚えています。
職業訓練校に通いながら求人情報を探していると、「事務員でシステムに詳しい方募集」という求人を見かけ、現在の青果物卸売業へ転職しました。
職業訓練でフォークリフトの資格も取得
職業訓練校(ポリテクセンター)では、受講する学科と関連する求人で無くとも、本人が応募したい求人を自ら探して応募することができます。
その為、6ヶ月の訓練が終わる1ヶ月前頃からハローワークの求人を小まめに見て探していました。
また、私は「パソコン以外でもある程度の作業はできます」ということをPRする為、フォークリフトと玉掛け・クレーンの資格が取れる学科に入り、実際に面接でも「事務員だがフォークリフトが使えると助かる」ということで採用を頂けました。
IT企業にいた頃はとにかく「寝るか働くか」という日々だったので、お金より時間を欲していました。
また、IT業界に戻る気はありませんでしたが、パソコンを使う仕事は好きだったので、「会社のパソコンに詳しい人」というポジションを狙って中規模程度の会社を探しました。
まずは移動手段の車が必要!
県外から帰ってきての転職活動だった為、まずは移動手段が必要となりました。
鳥取県はCMでも揶揄されるほどの車社会な県で、就活の為にはまず通勤手段としての車が必須でした。
次に、履歴書を書くにあたり、田舎の企業、かつIT企業でもない会社に対し、今まで行った業績や取得した資格がどの程度のものかをいかに伝えるか悩みました。
私は職業訓練校だった為、履歴書を一度講師の人に見て頂くのですが、その講師もいまいちイメージがわかないのか、返答に困る様子が見られました。
社内SEのような立ち位置に
基本的には事務員の為、伝票整理・電話応対・来客応対が主となり、それらに加えてシステムやパソコン等の機材管理をしていました。
青果物卸売業ならではなのか分かりませんが、朝7時から始まり、昼までに数千枚もの伝票を処理する為、午前中は毎日修羅場となります。
私以外はほぼ女性でしたが、よく噂で聞くような事務員同士の派閥等も無く、伝票を全て処理する為に1分1秒を無駄にできないといった様子です。
私も最初は一緒になって同じように業務をこなしていましたが、徐々に「なぜこのやり方なのだろうか」という疑問を持つようになりました。
そして、そうなった理由を調べていくと、どの業務も大抵「以前からそうしていたから」という回答に繋がっており、「本当にそれが必要なのか」をさらに調べるとほとんどが不要であることがわかりました。
その後、私の業務は事務員よりも「社内SE」のような立ち位置となり、業務改善や、それに必要なツールの準備・開発がメインになりました。
事務員なのに、いつの間にか何でも屋に…
大した理由は無く、「歴史の長い会社ならある程度システムが構築されていて、しかも卸売市場なら銀行ほどじゃなくても安定しているだろう」という安直な考えでした。
実際、採用が決まった直後は知人からも同様の意見が得られましたが、実際は田舎の企業さながらの古いシステムで、個人農家が自ら売るような時代であった為、現実は想定とは真逆でした。
当初の希望であった「お金より時間」は実際に得ることができ、給料は下がったものの都会に比べ家賃や物価が安いので、2年間ほどは概ね満足していました。
しかし、2年勤めた頃に私の管理者にあたり、経理も担当していた上司が失踪し、その人の業務を受け持つこととなりました。
それからは、私は「システム管理者 兼 経理 兼 総務」という、もはや何でも屋な状態となり、本業であるシステム関連の業務に集中することもできませんでした。
加えて、新たに発生する業務はデータ集計等パソコンを扱うものがほとんどなので、そういった業務は「担当者がいないからとりあえず」という形でまわされ、業務が増える一方でした。
自分がやりたい業務ができないというのはストレスでしたが、それでも与えられた業務は全てこなし、2人分の仕事も効率化を図って1人で行える状態にしました。
しかし、上司や役員は「それぐらい事務員なら当然だろう」というように、それらを行う為にどの程度の技術が必要だったのかを知ろうともせず、私は評価をされませんでした。
社内SEとして働くなら技術者として働こう
事務員とは「管理部門」にあたるものですが、田舎では管理部門は「利益を守る」ではなく「利益を生まない」部門だという意識が根強く残っています。
「利益を生む部門」とはつまり営業部門であり、たとえ技術者でも結局のところ管理部門は「利益を生まない」ものとして扱われます。
もし、私のようにIT企業から「IT企業以外で社内SEとして働きたい」という方がいるのであれば、最低限「事務員」ではなく「技術者」として、営業と同等の給料を頂ける会社を探されたほうが良いかと思います。

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