保育に向かない!「モノ」相手の仕事に|保育士を辞めたい人の転職体験談

保育士を辞めたかったkoujuncloverさん(34歳・女性・徳島県)が転職した体験談です。

仕事内容 阿南市の保育士から派遣で大手化学会社で顕微鏡を使っての目視検査業に転職
年収 340万円から96万円にダウン

保育には向いていないことを実感、辛かった

地方公務員 阿南市採用 保育士です。
大学に受からなかったため、いやいや県内の保育専門学校に進学し、保育士の資格をとりました。

もともと子供との関わりが得意ではなく、専門学校を卒業しても保育士採用の試験はどこも受けず、なんとなく採用された市の臨時の事務をしていました。
しかし、仕事があまりにも暇でやりがいも感じられず、事務所にいる人も40代~ばかりでおもしろくなく、半年ほどでやめました。

その年に、親に市の職員採用試験を受けろとしつこく言われ、仕方なく公務員(保育士)の試験を受けました。
筆記試験がよくできていたそうで、意外にも試験に受かってしまいました。

それから11年保育士の仕事は続けましたが、4,5歳児の子供からはなめられ、乳幼児の遊ばせ方も思い浮かばず、なにより発想力に乏しく、保育には向いていないことを実感し、辛かったです。

発表会に当たる度、書類も仕上げなければならず、同時期に結婚して小さな子供もいたので、家に仕事を持ち帰り、それも子供を寝かしつけてからしていたので過労がたまっていました。
また、ピアノの練習をするにも家にはピアノがなかったので実家まで行ってよく練習していました。

両立できないなら辞めろと言われて…

保育そもそも自分に向いていないことを実感したためです。
同僚からも、隠れて悪口を言われていたこともわかっていました。

仕事が終わると、別の保育所に子供を迎えに行き、家事をし、年子の子供二人をお風呂に入れて、寝かせることでも大変でした。
主人は夜勤か日勤の日は帰りが8時を過ぎる日がほとんどでしたので、頼れる人はいませんでした。

同時期、実父の病気、夫もがんを患い(完治しましたが育休中も毎日子供を連れて病院通いでした)身体はもう疲れ切っていました。
主人に愚痴を言うと、両立できないなら仕事をやめろと言われ、度々の喧嘩の後、退職しました。

退職してから3か月ほどして、派遣会社に登録して、検査業を始めました。
収入も激減して、娘二人を県外の私立大学にも行かせたので、まったく贅沢はできない生活でしたが、人より物相手の仕事の方がずっと精神的には楽であること実感しています。

派遣会社に登録し、様々な会社に!

派遣会社に登録し、面接、パソコンスキルを見られたうえで、紹介された会社に通っています。
3年以上は同じ派遣先にいられないので、様々な会社に変わっては続けています。

派遣を小ばかにしている会社、すぐに首切りをする会社、派遣なんだから何でもできて当たり前だと何でもさせられる会社、いろいろな会社がありますが、正社員でないのですから仕方がないと我慢しています。
ハローワークで紹介される仕事は競争率も高いので、派遣に登録して、紹介されるのを待つ方が良いと思います。

扶養内におさまるような年収額、車で通える、残業が少ない、お昼休憩がきちんとある、子供が体調を崩した日は急でも休みをもらえることを希望しました。
服装がジーンズ、スカートがダメでパンツの丈も足首が見えたらだめなど厳しく、新しく買うことになるのが不満でした。

なぜ辞めたのかと必ず聞かれるが、すぐ採用された

パソコンを使っての仕事と聞いていたので、パソコンは家にあってもインターネットくらいしかしたことがなかったので、本を買って勉強しました。
しかし、いざ仕事を始めると入力するだけでしたので、勉強は不用でした。

もと公務員(市の職員)であることを履歴書に書くと、なぜやめたのかと必ず聞かれるので、やめた経緯の説明に苦労しました。
本当のことを言うと採用に響くかと思いましたが、若いうちは3年後の更新後の新しい職場にもすぐ紹介され、派遣先にもすぐ採用されました。

目視検査やデータ入力など複数の派遣先を経験

顕微鏡を使った目視検査です。
異常のある部分を専用の機器を使って吸って取り除いていきます。その内容をパソコンに入力します。

次の派遣先はデータ入力でした。
ただただ、数字とアルファベットを入力していきました。

スピードと正確さが求められました。
同期は20歳の方でした。スキルが全く私とは雲泥の差で勉強不足を実感しました。

次の派遣先は大手会社の目視検査でした。
同じ目視検査でも、物が全く違い、梱包や、荷造りをあったので、慣れないうちは苦労しました。

しかし、会社の社員の方が皆さん、フレンドリーで派遣社員にも差別することなく食事に誘ってくれたり、飲み会にも参加できるし、一緒に休日は出かけたりするなど、楽しい3年間でした。

大変だったことは、エクセルの本を取り出しては勉強し、早く打てるように家に帰っても練習していました。
また、家事がおろそかになり、よく主人と喧嘩しました。

年を重ねるごとに仕事も選べなくなり後悔も

派遣会社では、パソコンでワードエクセルのスキルを見られます。
そして面接をして、私に合う職場を紹介してくれました。
最近では老眼があるので目を使った仕事は紹介されません。

在庫の数を数えたり、片付けの仕事であったりです。
それも、冷蔵庫や冷凍庫に入るので寒さに弱い私にはきついです。

年を重ねるごとに仕事も選べなくなり、今頃になって市の職員をやめたことを後悔してます。老後も心配です。

最初、スキルを見られる試験がありましたが、簡単な試験が多く、落ちることはなかったです。
派遣先でも入るとすぐに試験がありました。

もともと記憶力がいいことには自信があったので、明日までにここまで覚えてきてください。試験しますと言われても一発合格が多かったです。

休憩が社員の方たちとは全く別で、食堂を使ってはいけないとのことで、車の中で食事をとったりすることでさみしい思いをしました。
でも、きちんとしたお弁当をつくらなくても適当に何でも食べて済ますことができたのでかえって良いと思おうとしていました。

派遣先によっては、派遣なんだからなんでもできるだろう、と最初から接客させられたり、電話にも出ないといけなかったりと、不安が多かったです。

パソコンで新しい書式の書類を急いで作らさせられたりと苦労もしました。
制服がない分、毎日の服装にも悩むことが多いです。

「モノ」相手の仕事に変わって本当に良かった

自分に合わないのに無理をして仕事をしていると必ず体調にも表れます。
私は過換気症候群になりました。

好きな仕事に携わっている人の方が世の中少ないかもしれませんが、苦しい、泣きたい毎日なのなら転職しましょう。
私の場合は子供との関わりだけでなく、保護者との関わりにも苦労したので、「モノ」相手の仕事に変わって本当に良かったと思っています。

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